言葉の”意味”は”定義”ではない

おかしいですね、さっきの記事を書き始める時に睡眠薬を飲んだので、とっくに眠気が来てもいいはずなんですが、まだ眠くありません。
まぁおかしいから薬を飲んでるんですけどね。

さて、この話題は以前気になってからちょくちょく考えてるネタ。

概要としては、言葉の意味の表現はいくらでもあること、多くの人が意味と思って求めるものが実は定義であること、言葉による表現での情報伝達について。

(2018/04/21未明追記)

なんかすごく硬い感じしますけど、普段からこんなことをゆる~~~く考えてます。明日の天気と同じくらいの感覚だし、出典もなければ検証もない、天気予報よりあてにならない、フォーマットも雑、まぁこんなもんポエムですね。この記事、もとい、このサイトの全文は文末に「多分。」を付け加えて読むことをおすすめします。あ、誌は好きですよ。

言葉の意味

まず、みなさんは知らない言葉の意味を調べる時にどうしますか?
多くの現代人はスマホで検索してgoo辞書やWeblioのページを見る、あるいはページを開くことすらせずに検索結果だけを見るかもしれません。また、いくらかの人は辞書を開いて理解してすぐに閉じるでしょう。

では、それらの著作が存在しない場合はどうしますか?
おそらく、それを知っている人に尋ねますよね。
そして、聞かれた人はそれに対して答えます。
「うーん、〇〇みたいな感じ、〇〇とかあるじゃん」

確かに、ネットの検索や辞書を引くことでおおよそ事は足ります。誰も言語学者を目指して言葉の意味を探しているのではありませんから、厳密にサンプルを採取して意味を探すことはしないでしょう。

でも、言葉の意味は人により異なる、厳密には、言葉の意味するところはその人により異なるのです。

なぜでしょうか。漢字というのは便利なもので、”意味”という語をよく見ると少し分かります。

人々の思っている”意味”

とはいえ、言葉の意味が人によってまちまちだと困ります。それはもはや異言語です。同様の文法を使っているのに単語の意味が違うというのは相当にやっかいなことでしょう。

そこで、人々は辞書を引いて”標準的な”意味を調べます。そして、自分以外の人々も同じ”標準的な”意味で同じ言葉を使っているという前提でコミュニケーションを図るのです。

あるいはこちらが本題なのですが、その言葉の本来の意味を考えることを無意識に放棄して、辞書的な意味で言葉の意味を解釈するに留めているのかもしれません。

いずれにせよ、その”意味”は”定義”されたものです。辞書に書いてある意味が薄っぺらなものだと言いたいわけではありません。そこに載せられている言葉の説明は十分に洗練されたもの、いわば圧縮された意味なのです。それを読んだ人が解凍せずにそのまま使うところに問題があります。

言葉による表現

それでここにたどり着きます。

つまり、「言葉による表現で伝えられる情報の正確さには限界がある」、ということです。

言葉によらない表現、non-verbal communicationの場合であっても同じことは言えるのですが、皆さん(私の中の皆さんです)は言葉に頼りすぎです。

確かに言葉はこのようにwebを始めあらゆるメディアに記述可能で、複製も容易です。でも、それはあくまで表現の一種に過ぎないのです。この記事では言葉=記述された文章(text)として考えていますが、音声の場合はそこに声の調子やアクセント、リズムといったアーティキュレーションが付帯しますし、手話などでは顔の表情も表現の重要なポジションを占めています。

あ、思いついたので脱線しますね。
「履歴書の趣味には能動的なものを挙げましょう」と言われていますが、より意味がわかりました。それはつまるところ「趣味欄を使って表現力・発信力を示しましょう」という意味なのですね。
みんなが同じ表現しかしないなら、乱数を持たない人工知能と同じです。
人材の多様性が重視されるようになってきた、と言われますが、表現の方向性を統一して(あるいは無視して)マンパワーで解決することが難しい仕事が増えてきたということです。

さて、なんでしたっけ。あ、表現手法の話でした。
うーん、何か書き忘れているような気がするのですが、忘れました(てへ

とりあえず、言葉は便利ですが、言葉以外の表現も使うようにしましょう!

(でも最近、海外の人とチャットを通して言語学習してるので、言葉、メチャメチャ便利に使ってます。そして、日中英伊西露語を思うように切り替えられるIMEが欲しいです!)

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